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サクラサク通信|さくら文研・代筆スタッフブログ

とあるコミュニケーションの懐疑的恋愛

2014/11/26

先日、とある行きつけの食事処で、世界中を旅して廻っているフランス人男性カメラマンと一緒になりました。
お互いに母国語ではない英語で、時間と苦労をかけてコミュニケーションをとっていました。
それが功を奏したのでしょう。
双方とも、相手が何を言いたいのか一生懸命に感情移入しようとするあまり、両想いのような精神状態に陥り、最終的には兄弟のようにハグしあって酒を酌み交わしていました。
で、二、三時間後にお店が看板となり、別れる時の悲しいこと悲しいこと。
日本語を分かり合う者同士でもそうはならないのに、ちょっとの時間でここまで親しみを覚える関係に至るとは。

コミュニケーションってスゴイと思いました。

もちろんあからさまな事実を言えば、ホントはお互いの事など何にもわかっちゃいないので、別離の嘆きも一時的な感情に過ぎず、本物の関係ではないのでしょう。

それはともかく、私がこの度改めて学んだことは「ひたむきな感情移入は、そのこと自体が相手に伝わる」ということです

「愛することは知ること」というBBキングの歌があります。
誰かを好きになると、その人のことを、もっと知りたいと思うようになるものです。
恋愛感情を抱いたことのある人なら誰もが等しく知っていることですよね?
このテーマをひっくり返してみましょう。すると

「知りたいと思われてるってことは、愛されてる(好かれてる)ってこと」

よほど嫌なヤツのモーションでもない限り、誰だって悪い気はしないでしょう。
でも、コレって勘違いのきっかけにもなりますよね。

言説(ロジック)と感情移入の間に横たわる大きな流れは、両者の間にどっと押し寄せて、相容れない主観客観の別を迫ります。
コミュニケーションはその期待と役割に於いて、使い分けられなければなりません。

正しいコミュニケーションは、やはり言説の中にあるし、あるべきだ。
そんなことを思った今日このごろです。

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