さくら文研
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代筆をご依頼いただいたお客様の声|ライティングの感想

 

代筆ご依頼者様ロングインタビュー

これまで小説・伝記等の制作ご依頼をいただきたお客様に代筆サービスを利用した感想をインタビュー形式で伺いました。一部をご紹介いたします。

◆インタビュー一覧

原稿代筆・文章作成

小説ご依頼者様インタビュー

平田様(仮名)の場合

ジャンル 小説
規模 原稿用紙300枚
執筆期間 約1年

 
問1/小説代筆を依頼しようと思われた経緯を教えてください。

平田
大学で政治を学んで社会人になり、40歳を過ぎた頃に9.11事件にショックを受けました。「日本はこれからどうなるのだろう」と本気で悩むようになったんです。
その後、政治界隈の方々や本職の国会議員とじかに話をして言論の世界に関心を持ち、私も自分の意見を持って世間に物申したいという気持ちが強まりました。
 

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 問いは(12)まであります

そして、いざ自分の思想を文章にしようと考えた時、小難しい論文にするよりも、誰でも気軽に読める小説にしたらどうかと思いました。

さっそくチャレンジしました。
もちろん、小説執筆なんてはじめてです。上手に書ける自信は毛頭ありません。

案の定、私が古い人間であるためか、文章が固く、子供たちに見せても「むずかしい」「おもしろくない」と言われ、核心部分に入る前に投げ捨てられてしまいました。
読んでもらうには、重たいテーマを現代風のエンターテインメント的な味付けで著さなくてはならないようです。

他にも困難がありました。私自身、毎日仕事があり、休日は家族サービスや読書に時間を割かねばならず、小説を書いている時間がないのです。

こうなるとお手上げです。自分では書けない、でも形にはしたい……。

 
問2/最初にどのようなアイデアをお持ちでしたか? また、形にするうえでどのような課題がありましたか?

平田
基本構成はいわゆる「ディストピア小説」です。国家や国民になんらかの厄災が降りかかります。地政学的な危機や政治腐敗などです(アイデアはいくつもありました)。

そこに主人公があらわれて問題を解決します。
彼が実践するのは、メタ的に言えば私の腹蔵する政治的意見なのですが、実現にあたって予想しえない困難が起こり、国民を苦しめます。
それを解決して平和に導く……というのが、主な構成です。
ヒーロー小説とも言えますね。

課題は、前述の通り、エンタメ化にあたり私が流行を知らないこと。文章を日頃書きなれていないこと、私に時間がないこと。

誰かに書いてもらうという発想は、最初からありました。
しかし、知り合いに自分の政治的な思想を吐露して物語化に加担してもらうのはセンシティブなことです。
私の思想は、自分で言うのもなんですが、パンク的なリベラルですから、その後の人間関係に支障をきたすかもしれません。

となると、私の周辺にいない、全く無関係の第三者に頼む必要があると思っていました。

 
問3/「さくら文研」をどのように知り、利用を決めたのですか?

平田
ネットで検索して見つけました。前述の通り、見ず知らずのライターさんに書いてもらう必要があると思ったからです。

いくつかのライター事務所にメールしました。SNSやクラウドソーシングにも連絡しましたし、つてをたどって1、2冊本を出しているようなプロとも話をしました。

その中で、さくら文研さんが最も柔軟でコミュニケーションがとりやすいと感じたので、正式に依頼をしたわけです。

一応申し上げておきますが、さくら文研さんが私のパンク的なリベラルに同調した、というわけではありません。
小説という創造性の範疇で、政治的な意見をコントロールする術を持っておられる……そこまでです。

 
問4/ご依頼時に、どのような情報や資料をご提供いただきましたか?

平田
私が途中まで書いていた企画のメモと、出だしの文章のデジタルデータをメールでお送りしました。あとは、参考になるネット記事などのURLですね。
見ておいていただきたい映画などもありましたので、ご案内しました。
アマゾンで購入してご覧になったそうです。

 
問5/打ち合わせや取材を通して、どのようにアイデアが整理され、具体化されたと感じましたか?

平田
最初に一度だけ対面してお打合せをしました。
事務所にお招きし、3時間ほど自説の大枠を語らせていただきました。ICレコーダーで録音されていました。

その後は電話やメールのやり取りです。
さくら文研さんからは事細かに質問と提案が来ました。
私は短気な性分なので「アイデアは渡したんだからさっさと文章にして!」と多少イライラしたりもしました。

しかし、ある時、「さくら文研さんは私にとって試金石だ」と気づきました。
私がこの人に分かるように説明しない限り、この人は私の意見を汲んだ物語を作ることができず、ひいては私の意見が読者に伝わらない。
多くの人々にじかに対面して事細かに説明するのは手間ですが、さくら文研さんにさえ丁寧に説明すれば、あとは本を通じていろんな人に同時進行的に伝わっていく。効率的なんです。

それに気付いてからは、冷静に、懇切丁寧に説明を申し上げました。
すると、さくら文研さんの提案の質が変わってきました。最後あたりはあちらの方が過激なリベラリストになっていたかもしれません……あくまで創作技術上≠ナすが。

 
問6/見積もりや構成案の提案時の印象や感想をお聞かせください。

平田
構成案は、さくら文研さんが私の草稿を下敷きにして、物語としてふさわしい流れに変換してくれました。

私はそれをさらに踏み込んで監修しました。

私はなるべくたくさんのエピソードを組み込みたいと思っていましたが、さくら文研さんいわく「散漫になりかねない」とのこと。
でもどうしても譲れなかったので、とりあえずそのまま仕上げてもらって、散漫になったらあとでカットしてもらうことにしました。

さくら文研さんは私の意向を汲んでなるべくたくさん組み込めるように努力してくださいました。あとでカットしたのはわずかで済んだように思います。

原稿料は、私が自分で草稿を仕上げていたので、企画の分だけ原稿用紙単価を割り引いていただきました。
安価だったのは地方価格(鹿児島)もあったかもしれません。東京の作家さんにゴーストを依頼していたらもっと跳ね上がっていたでしょう。

 
問7/制作中の進捗報告やコミュニケーションについて、気づいた点はありますか?

平田
私の小説は12章構成で、一章ごとに確認用のPDF原稿が送られてきました。

確認原稿に自分で手を入れたかったので「ワードファイルをください」とお願いしたところ、最新の原稿が私とさくら文研さんのどちらにあるのか分からなくなりかねないのでご一考くださいとのお返事でした。

いかがなものかと思いましたが、考えてみれば、さくら文研さんの方で最後まで責任をもって仕上げたいということなのだと思い、了承しました。

私の性格からして、進行中の原稿を手に入れたら、思い付きでアイデアを挿し込みまくって、構成案とかけ離れたものにしたに違いありません。
そうなると、さくら文研さんが次に送ってくる章とつながらなくなり、物語は完成しなかったでしょう。

物語づくりは長期間におよぶので、辛抱しながら丁寧に作っていくものなのだと知らされました。

※ さくら文研補足:各種条件にご同意いただけました場合、各章ごとの書き換え可能データのお渡しも承っております。

 
問8/初稿を受け取ったときの感想を教えてください。

平田
構成案作成の時に、小説でスペクタクルな効果を期待してはいけないと釘を刺されていました。映画のように派手なアクションや視覚効果は、文字だけの表現形式である小説では不向きだとのことです。

そんなものかなと思いつつ受け取った初稿は、インパクトのある情景描写が随所にちりばめられており感動しました。
「視覚効果も行けるじゃないですか」と言うと、「それはお客様の想像力が豊かだからです」と褒められました(笑)

ともかく、私が予想していた以上の筆力と表現力だったので、すごく安心したのを覚えています。

 
問9/修正プロセスでは、どのようなやりとりがありましたか?また、それがどのように作品に反映されたと思いますか?

平田
これは申し訳ないエピソードなのですが、私の政治的意見をもとに執筆していただいているにもかかわらず、途中で私自身の考えが変わってしまい、修正をお願いしたんです。

さくら文研さんでは基本的に一度本執筆に入った作品の構成案の変更は不可とされているのですが、無理を言って修正をしていただきました。

大幅な変更ではないつもりでしたが、全体に大きく波及しました。細部というのはおそろしいものだと実感しつつ、その細部に気が配れることへの感嘆は尽きませんでした。
まさに政治そのものです。

 
問10/完成した小説を読まれたとき、どのような感想を抱きましたか?

平田
素直に感動しました。構成案の通りといえばその通りなんですが、それ以上のものがあります。

構成案に書かれているストーリーラインは、基本的に出来事の俯瞰図なんです。
ところが実際の本文は三人称で、主人公の肩ごしの目線。そのカメラアングルでいろんな出来事が起こる。つまり構成案に描かれていない臨場感があるんです。

どうやって書いているのか聞くと、執筆しながらその都度最適な描写を模索しておられるとのこと。
こういう芸当は、単なる「筆まめ」「文章上手」ではできないことです。

 
問11/周囲の方々(ご家族、ご友人など)の反応はいかがでしたか?

平田
最初は電子書籍にして、その後、自家製本しました。
仲間に読ませると「おまえらしいな」と言われました。
驚いたことに、誰も私が書いたと信じて疑わないんです。

さくら文研さんには「自分が書いたことにしたい」と伝えていましたので、そのように文章を調節してもらっていました。私らしい表現でないところは、折々の修正で変更していただきましたし、納品後のワードファイルを自分で書き換えたりもしました。

読んだ人が「おまえらしい」と言ったのは、文章よりもストーリーそのものだったかもしれません。だとしたら、それも大成功です。
実際は、私とさくら文研さんの力が結集されているのです。そこでもさくら文研さんは見事な影となっています。

 
問12/他の利用者に向けたアドバイスがあればぜひお聞かせください。

平田
アイデアの価値って、自分の中であっためておくだけではダメで、やはり形にする必要があると思うんです。
形にするのは、自分以外の人に自分の想いを伝えるためでもありますけど、なにより自分自身でアイデアを咀嚼し、深めるため。
無理をすれば自力でできないことはないでしょうが、私はさくら文研さんというフィルタを通すことで、自分の考えをより客観的に知り、強固にすることができたと思います。

ゴーストライターは、単なる便利屋ではありません。代わりに書かせるならテキスト生成AIでいいんですから。ゴーストライターとのコミュニケーションを通じて自分自身に出会うことに、刮目すべき点があるのです。
その効能は、依頼してみた人でないと分からないかもしれませんね。
 

小説作成

自分史ご依頼者様インタビュー

依田様(仮名)の場合

ジャンル 半自伝・半小説
規模 原稿用紙300枚
執筆期間 約1年

 
問1/半自伝・半小説という一風変わった作品の執筆を依頼しようと思われたきっかけを教えてください。

依田
50を過ぎた頃、同級生の親友が病気で亡くなりました。
それまで老いや死について深く考えることはありませんでしたが、同い年の友人が亡くなり、はじめてはっきりと実感しました。

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 問いは(13)まであります

自分もいつどうなってもおかしくない。時は無常に過ぎていく。その中で自分が生きた証はあるか……。
我が身を振り返ると、小さな事業は波に乗せたし、子供も自立したので、ひとまず無難にやりおおせたように思います。

しかし、心の奥深くを訪ねると、昔いだいていた夢、いつかやろうと思って忘れていたことなど、未達成のあれこれが無数に出てきました。
思い出した途端、いてもたってもいられなくなりました。

残り少ない人生、一つ一つ片付けていこう。

昔、亡くなった親友とバンドを組んでいた時、「いつかCDを出そう」と言い交わしていたので、遺された音源で実現しました。
好きだったビートルズの聖地巡りを、彼の写真とともに巡礼しました。
共通の知己をあつめて偲ぶ会をしました。

こういうことを通して、私がやりたかったことの多くは、親友と時間を過ごすことだったんだなと、改めて自分の本心を知りました。

そこでふと、自分の人生と亡くなった友人の「if」を集めて小説にしてみたい、という願望が生まれました。
早速自分で文章をつづり始めたのですが、書いてみるとなかなかうまくいかず、時間もかかります。
一方で、つくるからには素晴らしいものにしようと、製本や印刷について夢が膨らみます。

実際と理想のギャップに困難を感じ始めた時、文章のプロに小説を代筆してもらうという選択肢をインターネット上で知ったんです。

 
問2/最初にどのようなアイデアをお持ちでしたか? また、それを形にするうえでどのような課題がありましたか?

依田
核は自分と友人の関係性です。
物語の冒頭は本当にあった出来事で進み、彼が病気になるところまではリアルです。自分史と言えます。
そこから先、彼が全快して私と再び若い頃のようにいろんなことを楽しむ――というところはフィクション、小説です。

フィナーレのイメージは何となく頭の中に浮かんでいたのですが、現実とフィクションシーンのつなぎめと、そこからフィナーレへ盛り上げていくプロセスは、熱意だけでは書けないと思いました。

時間を費やせば力業で書けるかな?と思ったのですが、障害が2つありました。

一つは時間。事業をしていると忙しさにかまけてしまいます。

もう一つは、自分が小説世界の登場人物でもあるために、客観的になれないこと。
筆を執りながら、どこかで他人の目を入れなければならないと思いました。
全部書き上げたのちに誰かに読ませて修正するという考えもあったのですが、大規模なやり直しが必要になったらと思うと……最初から任せた方がよいように思いました。

 
問3/「さくら文研」をどのように知り、利用を決めたのですか?

依田
たまたま偶然、ネット上で見つけました。
ふと目にとまって、WEBサイトの概要を読んで、「代筆を頼むのもありかな」と。

とりあえず、どんな感じで任せられるのか、お値段はどのくらいか、メールフォームから尋ねたんです。
すぐ返信をいただいて、何度かやり取りをし、代筆お願いすることにしました。

決め手は、予算はもちろん大きいです。私の半自伝・半小説は原稿用紙で200〜300枚くらいを予定していました。大長編ですが、いくらかおまけ≠オていただいたいて。 

それと、私がお送りした企画に、詳細な批評と提案を送っていただいたことも大きいです。
それを読んで、正直それをもとに私自身がもう一度チャレンジしてもいいかな、と思ったくらい。
提案だけ購入できるか打診すると、それでもOKとのお返事をもらいましたが、「自分の企画をもとにプロが文章化するとどうなるんだろう?」という別の好奇心が持ち上がってきて、最終的に「全部お願いしよう」と。

迷いはそれほどありませんでした。
いただいた批評と提案から、結構信頼をしていましたし、執筆前に作成していただいた構成案は、全部で20ページくらいありました。私のお送りした草稿より多く、それだけのものを書く時間をすでに取っていただいたわけです。

やり取りはメールだけで、顔も知らない、声も聴いていない状況だったのですが、不思議と不安はありませんでした。

 
問4/ご依頼時に、どのような情報や資料をご提供いただきましたか?

依田
私の書いた企画メモと、冒頭部分の原稿をお送りしました。

アイデアからお願いする場合と、草稿がある場合と、途中まで本文を書いている場合とで、原稿料が違いますよね?

私の場合は、企画の全体像を一応仕上げていた上に、本文の冒頭部分に着手していたので、かなり値引きになりました。

資料はマイクロソフトのワードファイルでお送りしました。

手書き資料として作中人物の住家の間取りなどの図面メモがありましたが、それは携帯電話のカメラ機能で写真を撮って送りました。

 
問5/打ち合わせや取材を通して、どのようにアイデアが整理され、具体化されたと感じましたか?

依田
送った資料に対し、メールでいくつか質問を送ってこられたので、回答を返信をしました。
そういうやり取りが何度かあって、それが打ち合わせにあたるのかな。

電話やオンラインミーティングで打ち合わせしてもよかったのですが(実際にその提案もいただきました)、私の方が事業で時間を取れず、結局全部メールのやり取りになりました。

構成案の作成に際し、企画の随所に提案をいただきましたが、基本的にこちらの意図を最大限にしていただき、一度こちらがお断りした提案は、二度と持ち出されませんでした。

実は私の中で、プロのクリエイターに対して偏ったイメージがあって……。自分がいいと思ったことを意固地にゴリ押ししてくるのではないかという不安がありました。
でも、それは最後まで全くありませんでしたね。

ただ、メディア特性ということについて、かなり細かくご指導をいただきました。

簡単にいうと、文字で紡ぐ小説という表現方法は、映画や写真とは全然違う、ということです。
ハリウッド映画のようなスペクタクルなものを小説にしようと思ったら、ちょっときびしいよ、と。
逆に人間の心理や人間同士のアヤといったものにはうってつけとのこと。
大変おもしろく、勉強になりました。

 
問6/構成案や見積もりの提案時の印象や感想をお聞かせください。

依田
構成案は、登場人物の設定やストーリー展開について綿密に表したものを確認させていただき、修正や変更をお願いしました。物語の細部はこのようにして仕上げていくのかと、感心していました。

見積金額は【原稿用紙枚数×原稿用紙単価】で、前述の通り単価を下げていただいたので、無事に自分の貯めていた小遣いで賄うことができました。

数度のメール打ち合わせを経て構成案が完成し、本文執筆にはいる直前に着手金の請求をいただきました。
提示額はお見積金額の1割程度。構成案の時点ですでに3稿・4稿と何度も変更を重ねていたので、その時点で全体の一割程度の着手金は妥当な感じがしました。

 
問7/制作中の進捗報告やコミュニケーションについて、満足した点や改善してほしい点はありますか?

依田
私の依頼した半自伝・半小説は10章構成でした。
1章書き終えるごとにチェック用原稿が送られてくるので、熟読して修正変更内容を返信します。
何稿かやりとりし、最終的に私が完全OKを出すと次章へすすむ、という流れです。

1章あたりにかかる時間は、その章のボリュームや複雑さによりますが、20日〜1か月程度です。
制作中は1週間〜10日に一度、進捗報告メールがありました。
目下構成案のどの部分を書いている、どういう部分で苦心している、どういう部分でもう少し情報が欲しい……といったことが送られてきます。

たまに「非常に苦労しているので、ご案内に時間がかかりそう」といったことも知らされました。

定期的に物語の続きが送られてくるのは、私だけが読める連載小説があるようで楽しみになっていました。
不満と言えば、ちょっと時間がかかることがあるくらい。
もっとも、急いで書き上げられて拙いものになるくらいなら、じっくり書いてほしいと思っていました。

 
問8/初稿を受け取ったときの感想を教えてください。完成形への期待感や、修正のリクエストがあれば具体的にお話しいただけますか?

依田
構成案を読んでいるので、どんな内容が送られてくるかはわかっているんです。それでも本文を読む驚きがある。
「ここをこう書くとは」「なるほど、こう来たか」という具合です。

自分がイメージしていたところと違うところもあるのですが、先を読み進めるとちゃんと意味のある違いになっている。辻褄だったり均衡だったりに整合性があるんですよ。
小説を書きながら常に俯瞰していられるところが「プロだな」「数を重ねておられるな」と感心しました。

自分だったら今書いているその部分をしたためるので精一杯ですからね。
そこを適切に全体を統御してくれる――それに気づいたら、任せることもひとつの楽しみになります。

 
問9/完成した小説を読まれたとき、どのような感想を抱きましたか?

依田
不思議な感じがしましたよ笑

前の質問で答えた通り、なにしろ大筋を自分で考えているんですから。構成案を読んでいるので、結末も知っているんです。
それでもなんというか、しみじみとした感慨がある。
適切な例えかどうかわかりませんが、人気小説が映画化された時のような。イメージが実体化した感じ。
筋を知っていても、切り口は自分にないものだから、新鮮です。

文章や描写については、さすがというほかありません。

実は依頼の際に「この作品はあくまで私が書いたことにしたい」と伝えていたので、あまり華美な描写やマイナーな語句のチョイスは避けてもらっていました。
私の送った資料やメール文から、いかにも私が書いたかのような文章に近寄せて全文を書いてくださいました。

 
問10/ご自身のアイデアがどのように作品に反映されていると感じましたか?

依田
文章にも企画にも、私らしさしかありません。その点は完璧です。

納品はワードファイルで、原稿料を全額お支払いした後は、晴れて原稿は完全に私のものになりました。

読み直して、どう考えても私の使う語句じゃないところや、私らしからぬ表現は、自分の手で改めました。

それにしても、仕上がった小説の一部分でも変更しようとすることの難しさと言ったら。
お城の石組みのように、ひとつの石が全体と絡み合っているんです。
容易なことではないですね。

 
問11/周囲の方々(ご家族、ご友人など)の反応はいかがでしたか?

依田
知り合いの印刷所に原稿データを持ち込んで印刷製本し、自費出版しました。

完成した本を友人知人に送ると、すぐに各所から感想が寄せられました。
多くの知人は亡くなった親友のことも知っていましたので、感激していました。

中には「おれも自分史や小説を書きたい」と言い出す人もいましたよ。

仕事関係で配布するとみな驚き、一目置かれるようになりました。中には「先生」なんて呼んで茶化す人もおりますが笑

いずれにしても、身の回りの人間関係が急に活性化したように感じます。
一つの本の生み出すエネルギーを、まざまざと知らされました。

 
問12/「さくら文研」のサービスについて、どのような点に満足されていますか? また、小説を完成させたことで、どのような気持ちの変化がありましたか?

依田
大満足です。長編小説を自分で書き終えるのは、時間的にも力量的にも不可能でした。
私の人生のやりのこしが叶えられただけでなく、人間関係まで活性化して、人生が次のステージに進んだかのように思います。

自分で文章を書いていないことについて、一時は自分も引っかかることがあったのですが、今はありません。
根幹となるアイデアは自前ですし、修正変更も自分の意志です。

それに、ものづくりというのは、全体を指揮する人・企画する人・技術を用いる人など、分業で行うものです。
実際の商業作品でも、作家と編集者が揉み合って作品をつくっているといいます。

小説や物語は、必ずしも、徹頭徹尾一人の力で完成させなければいけないものではないと思います。
だって、チームの方がいいものができるに決まっているのですから。三人寄れば文殊の知恵です。

 
問13/他の利用者に向けたアドバイスがあればぜひお聞かせください。

依田
本をつくるきっかけは、親友との関係と人生の夢、その2点でした。さらに、それらをいかに形にするかがポイントでした。

一から自分で何もかもやろうと努力することも、意義のあることだと思いますが、人生の時間は有限ですし、人に頼む方が理があると思います。

この年齢になると「どうやって夢を叶えるか」でなく、「どれだけの数の夢を叶えるか」が大事です。
思い残してしまわざるをえないことを、一つでも減らそうとする意識です。

もっとも、夢は叶えれば叶えるほど、次々に生まれていって、新しいステージを提示してきます。
それにより、人生が驚くほど厚く豊かになります。
私はそれを、本づくりを通じて知ることができました。

今迷っている方は、躊躇せず、問い合わせだけでもしてみるのがいいのではないでしょうか。

自伝制作依頼

自分史・社史ご依頼者様インタビュー

井澤様(仮名)の場合

ジャンル 社史
規模 原稿用紙400枚
執筆期間 約1年半

 
問1/ご依頼の背景と動機をおしえてください

井澤
私が秘書課長を務める勤務先が、創立30周年を迎えました。この節目に、創業者がご子息への代替わりについて言及し、会長や顧問として残らず完全に引退し、余生をのんびり過ごしたいとのお考えを表明されました。

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 問いは(10)まであります

創業者はカリスマ経営者として名を馳せているので、もし引退となると、社内外に動揺を与えるのは必至です。ご子息は実直で優秀な人物なのですが、このままバトンを受け取っても代表取締役の求心力低下は避けられません。

創業者が私に「良い手だてはないか」とお尋ねになったので、自叙伝の作成を提案しました。ご子息が著した体裁で父創業者の伝記を作成し、精神性や経営観を踏襲していることを表現し、社内外にはびこる代替わりの不安を払拭するのが目的です。

「伝記とは大袈裟だな」と創業者は照れくさそうにしていましたが、幹部数名に話して賛同を得て決定し、私は海外出張中のご子息にオンライン通話で、伝記の執筆をお願いしました。 ところが「あなたが代わりに書いてください」とのお返事。ご子息は社の重要なポジションにあるために多忙で、ほぼ毎日出張で世界中を飛び回っており、実際に伝記制作を行うのは不可能です。

その旨を創業者に報告すると、ご子息が筆を取れないことは織り込んでおられたようで、「課長が何とかするしかないよ。言い出しっぺなんだから」と笑って返されました。

私が当惑していると、創業者ご自身、自分の人生を振り返ることに興味を覚えておられたようで「せっかくやるなら、しっかりしたものを作ろう。作文のプロに頼もう」とのこと。作家や出版関係に伝手のなかった私はインターネットで自分史のプロを探すことにしました。

 
問2/依頼を決めたポイントは何でしたか?

井澤
ネット上にはたくさんの代筆業者がありました。大手出版社の自伝サービスもあります。価格もピンキリです。どのサイトも、制作実績の自分史の書影が並んでいました。

業者をリストアップして創業者に報告すると、「制作実績の書影を多く出していないところがよい」。 なぜという私の問いに、「今回の本はあくまで息子が書いた体裁なので、ゴーストライターには裏方に徹してもらわなくてはならない」とのお言葉。

依頼作品をWEB上に公開している業者がみんな秘密保持を怠っているとは思いませんが、それをもちいて宣伝や営利に結びつけようとする会社は、成果物を自分の所有物のように思いこんでいる節があり、いつか必ず情報が洩れる……とお考えのようです。情報産業の創業者ゆえに、情報の取扱いには人一倍敏感なご意見で、まったくまっとうだと思いました。

創業者が実際にサイトをチェックし、絞り込んだ3社に私がメールを入れ、納期や見積もり、取材等のプロセス、著作権の取扱いなどの回答を得ました。

その結果、決まったのは「さくら作文研究所」でした。在所が鹿児島で遠隔ではありましたが、遠路をいとわず初めて打ち合わせに来られた時のことは、よく覚えています。

 
問3/初めにどのような情報や資料をご用意されましたか?

井澤
会社概要と、これまで創業者が新聞等で取り上げられた時の切り抜き記事などをお送りしました。会社概要に沿革が載っていて、創業者が元来どういう人間で、どういうつもりで起業したかといったことも、そこそこのボリュームで触れてあったんです。読みようによっては完成した伝記といえました。ただ、文章が淡白で面白みがなく、創業者もかねがね何とかならないかと気にしていました。つまり、今回の伝記は「読み物として面白いものを」という方向性が最初から潜んでいたんです。さくら文研さんは自伝のほかに創作原稿も専門にしていらしたので好都合でしたね。

 
問4/打ち合わせや取材を通じて、自分史の方向性や構成がどのように固まっていきましたか?

井澤
既存の資料だけでは読み物としての面白さや、創業者の人間的な滋味をあらわせないということで、対面取材をお願いしました。創業者と相性がよく、何度もお越しいただきました。

ライター氏は雑談をしながら、食事をとりながら、常にICレコーダーをまわして言葉を集め、あとからすべて文字に起こして、伝記に必要な情報を集めておられました。また、弊社の事業についても学習され、創業者の人格的な部分のみならず、私たちの携わる業界の歴史を網羅するような情報が集まりました。

創業者はますます熱が入り、書物の内容を厚くするべく、関係者やライバル会社のOBにインタビューを申し入れ、自分は参加しないでライター氏に単独取材をしてもらうなど、思いつく限りの情報収集を任せました。私やほかの幹部社員たちも、そのかかわりの中で学ぶことが多く、ご子息とベテラン社員の間のコミュニケーションもとれるようになり、代替わりの下地になったと思います。

 
問5/構成案を受け取ってどのようにお感じになられましたか?

井澤
資料の貸与と対面取材、各人へのインタビューを通じて情報が集まった後、ライター氏からそれらを取りまとめてストーリー化した構成案が提出されました。30ページほどの概案と、100ページ超の情報ストックブック。創業者年表には業界の動向、日本や世界の出来事なども記されていて、かなりボリュームのある資料です。そのほか、原稿のイメージとして冒頭部分を実際に執筆したものが、原稿用紙3枚分程度届けられました。それらを社で確認し、創業者もGOサインを出し、本執筆をお願いすることにしました。

 
問6/制作中、どのようなエピソードや出来事を特に掘り下げたいと思われましたか?

井澤
内容については、基本的にライター氏と創業者の二人が差し向いで、そこに必要な人間が加わって進めるやりかたでした。必要な人間というのは、折々の担当者や功労者、外部の関係者といった具合です。

創業者も最初は自伝を起こすことに照れと躊躇いがあったようですが、徐々に気持ちが乗ってきて、何年も連絡を取っていなかった人に電話をして旧交を復活させたり、自身のゆかりの地へライター氏を同伴して訪問したり、人生の振り返りを楽しんでいるようでした。

私は秘書なので情報源として必要とされる立場にありませんでしたが、しばしば臨席し、会社の立場としての表現や言葉のチョイスを意見したりしました。スムースな代替わりのための創業期ですから、立派なものを志向しつつ、創業者の記憶を裏付けるために資料を整理して事実確認するなど、裏方作業ですね。会社の草創期と拡大期については最大の盛り上がりとなるシーンですので、原稿に磨きをかけていただきました。

 
問7/初稿を受け取ったとき、どのような感想を持たれましたか?

井澤
5で言った通り、最初に原稿の文体イメージとして冒頭部分を少しだけ書いていただきました。そのシーンはわが社が過去に迎えた重大な転換点となる会議風景だったのですが、それを読んだ創業者の「この人(ライター氏)、会議に居合わせたっけ?」という言葉が忘れられません。それだけ内容がリアルだったのです。ライター氏の手で文章化された原稿を読んだのはその時がはじめてで、その時点で創業者はかなりの感動を覚えていました。

本執筆がはじまったのちは、構成案に沿ってライター氏が書いた原稿の章ごとのチェックになります。全20章くらいの原稿で、いくつかの短い章は2章まとめて送られたりしたことから、都合15回程度の初稿チェックをしました。1回目は創業者の幼少期の章で、時代背景の情報を織り交ぜつつ、子供時代のわんぱくな創業者が描き出されていました。創業者は修正点をチェックした上で、毎回のように追加情報をつけたして返していたので、伝記の最終的なボリュームは当初の予定よりかなり増えました。予算と時間を考えると、秘書としては頭のいたいところでしたが、創業者の熱が徐々にたぎっていくのを目の当たりにし、私は内心うれしく感じました。年齢を経て往年の熱気が徐々に失われていましたから、「元気なオヤジが戻ってきた」という感動がありましたね。

 
問8/原稿作成はどのような空気の中で行われましたか?

井澤
原稿は、創業者にすり減るほどチェックされ、ライター氏は要望に従い文章表現をこまめに改めました。最終段階では代替わりするご子息も積極的に関わりました。

追稿に追稿をかさねた結果、予定の2倍近くに膨らんだページ数の原稿が、一年半ほどかけて完成しました。

製本前の段階で、文字校正を兼ねて社内の一部に回覧させました。ベテランと若手をおりまぜて読ませたところ、「こんなことがあったとは知らなかった(ベテラン)」「自由な社風の理由を知った(若手)」など、今までになかった愛社の言葉が並びました。伝記作成の効能がはっきりと見えた気がし、私は代替わりが成功する手応えを感じました。

印刷・製本・流通はうちの会社が懇意にしている印刷所にお願いしました。さくら文研さんでも可能とのことでしたが、印刷所との関係もありましたので譲っていただきました。にもかかわらず、ライター氏は帯の言葉をしたためたり、装丁にアイデアを提案するなど、積極的に関わってくださり、ずいぶん助かりました。

 
問9/完成した書籍はその後どうなりましたか?

井澤
委託配本による自費出版を行いました。あくまで一企業の歴史、経営者の伝記に過ぎず、さして売れるジャンルではないと考えていました。実際、初動はほぼ沈静。ただ、この本で利益を上げようという考えは最初からなかったため、その点についてがっかりすることもありませんでした。

流通分とは別に、印刷・製本した書籍を取引先や金融機関にお配りしました。皆さん「立派な本ができましたね」と喜んで受け取ってくださり、読んだ方からはすぐに感想の連絡がありました。「面白かったです」「御社が身近に感じられました」といったお声をいただきました。中にはこの本の意図を察し、「これで代替わりはうまくいきますね」と言ってくださった方もいました。

社内では図書室に常備し、自由に閲覧できるようにしました。ベテラン社員よりも若手社員が興味を持ってよく借りていたようです。副社長(ご子息)の執筆と知れわたっていたことから、若手社員と副社長との間に自然なコミュニケーションが生まれました。副社長は正直な方ですので、「プロの手を借りたんだよ」と吐露されていましたが、実際に制作過程に関わっておられたため、本の内容に精通されています。若手と副社長の間で創業の精神を踏まえたうえで会社の未来について意見を交わす場面が見られるようになりました。代替わりの基盤は確実に固まっていきました。

その様子をしっかり見届けた創業社長は、代表取締役の座をご子息に譲って引退されました。現役時代の実績と信頼があまりにも大きかったため、各方面から再三再四の要請を受け、相談役として会社に籍を残すことに。ただし出社は月に1、2度にとどめ、現在は奥様とのんびりと余生を過ごしておられます。

こうして自叙伝の作成は当初の目的を果たしました。代替わりはスムーズに成し遂げられたのです。さらに思いがけない効果もありました。リクルートです。新卒者や技術職の中途採用希望者が、書店やネットで販売されていたこの本を購入し、会社について事前に学んだうえで採用試験や面接に臨むようになったのです。いままで沈静化していた流通分が動き出したため、驚いたものです。

現在この本は、新人研修で社史や業界史を学ぶ教材として活用されています。代替わりにとどまらず、わが社の経営理念や方向性を一冊にまとめた「バイブル」のような役割を果たす本となりました。この本を作った意義は、当初想定以上に大きかったと感じます。それを創業者に勧めたのが自分であることを思うと、少し誇らしい気持ちになります。

 
問10/最後にさくら文研についてひと言ください

井澤
現在のわが社における人材教育や愛社精神の形成において、さくら文研さんの貢献は非常に大きなものがあると感じています。

取材、構成案の立案、執筆の各工程では、正直なところ時間がかかり、「もう少し早くできないものか」と苛立ちを覚えた場面もありました。しかし今振り返ると、時間を惜しまず、丁寧に作っていただいたからこそ、この本が代替わり、対外的なコミュニケーション、新人教育、リクルート促進など、多方面でわが社を支えるツールになってくれたのだと実感しています。

自分史・自叙伝・伝記というものは、単に本として考えると、紙の束を綴じた物に過ぎません。しかし、そこから生み出される価値を考えると、時間と費用をかけるだけの意義は十分にあります。その担い手としてのさくら文研さんは、絶対的に信頼できるプロフェッショナルです。

自伝制作依頼

自分史ご依頼者様インタビュー

久米島様(仮名)の場合

ジャンル お母様自伝
規模 原稿用紙200枚
執筆期間 約半年
備考 印刷製本(ハードカバー)

 
問1/自伝を書こうと思ったきっかけを教えてください。

久米島
喜寿を迎えた母に何か記念になる物を贈ろうときょうだいで話し合い、自分史をつくってあげることにしました。母に電話でそう言うと「大袈裟な!」と笑いましたが、2・3度勧めると話に乗って来ました。 実はこうなることは察しがついていたんです。

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 問いは(7)まであります

母は以前から「友達に自分の過去の話をすると『盛ってるでしょ』『出来過ぎだよ』と言って信じてもらえない」と愚痴を言っていましたし、ある作家さんから「あなたの人生を本にしたらきっと面白いよ」と言われたことを自慢にしていましたから。

「じゃあ、決まりね!」と言って電話を切った翌日、さっそく母から「で、私は何を準備すればいいの?」と前のめりに聞いてきた時は、相当やる気になっていることに吹き出しそうになりました。

母は若い時分に四国の田舎から地方都市に一人でやってきて、苦心の末に自分の店を持ち、それなりに成功をおさめました。その後、女手一つで私たちきょうだいを育て上げ、私たちが独立すると事業を売却。いまは一人暮らしをしています。
東京にいる私たちが母の身体を心配し、「こっちにおいでよ、一緒に暮らそうよ」と勧めても、「私はまだ年寄りじゃないよ」「一人が気楽でいい」と突っぱねます。一人で頑張ってきたことが母のプライドで、誰の助けも借りずに仕事をし、子育てをしてきたことを誇りに思っているのです。その背後では、事業で裏切られたこと、男女関係のもつれなど、悲しい出来事もあったということを、年長の親戚から聞いたことがあります。
私たちきょうだいはそういったことを母から直に聞いたことはなかったのですが、自分史を作成することになれば母が過去を開示して、私たちも母のことをもっと知れるのではないか、という好奇心もありました。

 
問2/プロの代筆を利用しようと思ったのは、なぜですか?

久米島
「やるんなら最高のものをつくるから」私がそう伝えると、母はうなずきました。事業主だった母は厳しい性格の持ち主で、妥協を嫌います。実はここに、私たちの計算がありました。 私たちきょうだいはそれぞれ事業をしており、自分たちでペンを握って文章を書く時間はありません。プロのライターに依頼して取材と執筆をしてもらうことは、当初から念頭に入れていたのでした。「いいものを作るために全力を尽くす」という真剣さを母と共有できれば、プロに依頼するという選択肢に母が反対する理由はありません。

ライターは、ネットで見つけたさくら文研さんに決めていました。すでに見積をとり、出張取材のスケジュール確認を進めていました。さくら文研さんを選んだ理由は、正直にいって「フィーリング」です。ネット上には無数の自分史営業サイトがありました。中でも「原稿の品質」へのこだわりが高かったことに好感を持ちました。

 
問3/さくら文研と実際にやりとりしてみて、どう感じられましたか?

久米島
気になっていたのは取材です。出張は何回までしていただけるのか。一回で何時間くらいか、どのような段取りですすめるのか、費用はどのくらいか……等々。何度もメールのやりとりを重ね、オンライン会議も挿みながら回答をいただき、おおよそのイメージを掴むと、いよいよ母と対面取材をしてもらうことになりました。

気掛かりは「母との相性」です。なかなかの偏屈ものですから。さくら文研さんが耐えられるか、母が「この人なら話ができる」と思うか。対面は私も立ち会いました。さくら文研さんの丁寧な対応と会話で、母はすっかり心を許したようです。初対面日とその翌日、合計で5時間くらいインタビュー取材をしていただきました。対面取材はその時だけです。あとはメールやお電話でのやりとりでした。

ちなみに2日目は私は立ち会いませんでした。娘がいると話しづらいこともあると思ったからです。事実、2日目の取材内容は、娘では到底聞けない、母からすれば娘には到底話しづらいことが引き出され、母の自分史内の一つの重要な核となっています。

 
問4/打ち合わせややりとりの中で、印象に残っていることはありますか?

久米島
取材のあと、構成案の確認、執筆原稿の確認が何度かあり、パソコンに疎い母は紙の原稿をさくら文研さんに送ってもらい、赤ペンを入れては送り返す作業を続けていました。

私は月一度くらい母の元を訪れ様子を見ていましたが、ダイニングのテーブルで老眼鏡をかけて原稿を食い入るように見つめて赤ペンを走らせる母の姿に、熱いエネルギーを感じたものです。

最近は年を取って、なにごとにもゆるくなっていましたが、昔の「勉強しなさい!」と厳しく言っていた頃の母がかえってきたようで、その面影が懐かしく、うれしい気分になりました。

事実、母はめきめき若返るようで、さくら文研さんと原稿の往復をしていた頃は、疎遠になっていた友人と花火を観に行ったり、歌謡ショーを観覧したり、精力的に人生をエンジョイしていましたね。

 
問5/出来上がった原稿を読んで、率直にどう感じましたか?

久米島
原稿は、さくら文研さんの紹介で印刷製本し、ハードカバーのきれいな本となって納品されました。感動、驚き、喜び……もう何と言ったらいいのでしょう。読んで今まで知らなかった母の側面を知り、本当に自分史作成を実現してよかったと思いました。母へのプレゼントというより、私たちきょうだいが得た喜びの方が大きかったのではないでしょうか。

内容に関して、特定の人物への誹謗中傷になりかねないことや、登場人物の機微に触れる点は、避けがたく存在しているのですが、さくら文研さんは見事にそれを裁かれていました。筆をぼかしたり、いろんな角度の視点を提示して一つの価値観に押し込めないようにしたり。出版流通はせず内輪にのみ配布する予定でいても、センシティブな部分には細心の注意をいただきました。本にするということは残るということなのだと、改めて感じました。

母も大変に満足のようです。友人に渡す時の照れた表情など、母がかわいらしく見えました。かつてお店をしていた時の常連さんに送ったところ、お手紙がきたり、食事をしたり、交流が戻っていました。事業を退いてからは仕事関係の人とは顔を合わさないようにしているところがありましたから意外でした。おそらく母は、自分の人生を振り返って、いろんな人に支えられていたことを改めて思い出し、変に交流をせばめたりせず、みんなに感謝したい気持ちになったのではないかと思います。

 
問6/依頼してよかったと感じた点を教えてください。

久米島
親子間の関係が一層密になったこと、母の人間関係が活気を取り戻したこと以外に、母が如実に元気になったことが挙げられます。

定期的にお医者様にかかっていましたが、あらゆる数字が改善していました。医師の方が驚いて「最近何かしましたか?」と尋ねてきたくらいです。母は「子供たちが自分史をつくらせてくれたんです」と堂々と答えました。

母は病院嫌いで、これまで医師とのやりとりもぶっきらぼうだったのですが、その医師に自分の近況を吐露することをいとわぬくらい、気持ちが開放的になっていると思いました。

 
問7/自分史の作成を検討中の方へ、一言お願いします。

久米島
そんな母も83で他界しました。自伝完成から5年。もともとの持病が募り、全身の体力を奪い、最期は病院にいましたが、さほど苦しむ様子もなく旅立ちました。

人生最後のきらめきは、間違いなく自分史でした。自分の人生を掴みなおし、周りの人々に感謝し、心の元気を取り戻し、傘寿くらいまで私たちと旅行に行ったりしました。

遺された私たちきょうだいにしても、自分史をプレゼントして本当によかったと思っています。母の喜ぶ顔をしっかりと見届けたことは、親孝行の手応えでしたし、私たちも母を通じて自分のルーツを知ることができ、家族や先祖について思いをいたすきっかけになりました。

賀寿のお祝いのプレゼントは、いろんなものがあると思いますが、家族の絆を形にするのは、自分たちが登場する自分史という書物だけです。作成をお勧めしますし、つくるならプロにお任せするのが最善です。さくら文研さんは小回りの利くライターさんですから、些細なことも親身に相談に乗ってくれます。

販促小説代筆・作成代行

販促小説ご依頼者様インタビュー

林川様(仮名)の場合

ジャンル コンサルティング販促小説
規模 A5サイズ70ページ 2巻
執筆期間 各3か月程度
仕上がり 無線綴じ印刷

 
問1/小説という形で自社のサービスを伝えようと思ったきっかけは何でしたか?

林川
飲食店経営のコンサルを行う弊社は、新型コロナウイルス感染拡大時にテイクアウトとデリバリーの需要高を見込み、新サービスとしてその運営指導をはじめることにしました。売り込み先は新規開業者よりもコロナの集客減で頭を悩ませる店舗経営者に設定。いまあるキッチンやレシピを転用することで、早ければ一週間以内にスタートできるからです。

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 問いは(7)まであります

わが社としても数十件のお店とのコンサル契約を継続中で、それらの方にご案内すれば、スムースにビジネス化できるであろうことを想定できましたし、中食や宅配に関するノウハウも、それなりに集積がありました。

初動時点でやるべきことは、「このサービスを広めること」。契約先に案内チラシを郵送してみたのですが、反応が芳しくありません。

何が問題だったのでしょうか。古くからご契約いただいている個人店さんに忌憚ないご意見を求めたところ、こんな言葉をいただきました。

「飲食がテイクアウトやデリバリーをやろうとするのは、今の状況下ではあたりまえ。みなが欲しているのは、それを具体的にどんな流れでやるべきなのか、どんなピンチが予想されて、そんなときはどういう克服法があるのかを知りたいんだ」

意見を社に持ち帰り、全体会議を開いて販促方法を検討しました。案内動画を作ってはどうかという意見がありましたが、予算と時間がかかります。契約先に若い店主が多かったことから、若者向けのコンテンツに便乗してはどうかという話になり、「漫画にしよう」「SNSを使おう」といった発案が並んだ末、誰かが「小説にしてはどうでしょう?」と提案しました。

広告作成の禁忌の一つ「文字がぎっしりつまっていること」。ちょっとでも多めに文字を詰め込んだチラシは、読まずに捨てられます。忙しい店舗運営者にそんなものをのんびり読んでいる時間はありません。字ばかりの小説なんて、もってのほか。それは販促物制作上の常識でした。

しかし、若いスタッフを中心に肯定的な意見が続出しました。
今の若者は「活字離れ」と言われた氷河期世代と違い、ライトノベルと呼ばれる軽文学に親しんでいるので文字媒体好きは多い。デジタル文化に長く接し、メールを読んだり書いたりしているので、言葉のコミュニケーションに積極的。販促手法としても単なるチラシが来るよりは、ちゃんと綴じた本が届けられたら珍しいのでしっかり読む。店主側は目下集客減で忙しくないので目を通す時間はある。表紙のイラストをしっかりつくりこめばきっと掴める――等々。

私はアイデアの裏付け以上に、若いスタッフが一丸となって盛り上がっていることをうれしく思いました。彼らの熱意にこたえ、任せて形にさせてみよう。わが社もコロナの影響で停滞気味でしたから、志を一つにできるテーマを得ることはモチベーションアップにつながると思ったのです。

 
問2/なぜ代筆・外注という手段を選ばれたのでしょうか?

林川
単純に、社内に文章を得意とする人間がいなかったからです。ライトノベルを嗜好する若者世代とはいえ、読む方専門で、自分で作るのはまた別のようです。ストーリーについては社内募集をかけたのですが、社の事業に対して客観的になれず、肯定的でありきたりな発想しか得られませんでした。

さくら文研さんはインターネット上で見つけました。小説作成の意図を伝え、見積もりをお願いしました。すると見積もりのほかに文体や構成のご提案をいただきました。構成案では架空の飲食店の浮沈が物語のヤマやハッピーエンドと重ねて描かれており、その時点で「先を読んでみたい」と思ったほど。社内で諮り正式に発注しました。また、ライターさんご自身が、飲食店経営について短期間ながらご経験があるとのことで、その点も決め手の一つとなりました。

 
問3/実際のやりとりで、印象に残った点や良かった点はありましたか?

林川
読者層を意識して文体を維持しながら、飲食店コンサルという一種独特な広がりを持つ世界を描いていただくにあたり、かなりのすり合わせをしました。登場人物に役割を与え、「反対者」「協調者」「ライバル店」「消費者の代弁者」「行政」「励まし役(ヒロイン)」といった設定を立てた時は、モノづくりの面白さを感じたものです。 企画構成が完成して執筆開始後も、わが社からの追加の要望を取り入れていただくなど、柔軟な対応をしていただきました。限られた予算のためページ数は少なめにお願いしましたが、それでも一編の読み応えのある作品にしていただき、さすがだなと思いました。

最終的に、さくら文研さんの地元である鹿児島市の印刷所で印刷・製本をお願いし、ご納品いただきました。

 
問4/社内やお客様からの反応はいかがでしたか?

林川
納品後、すぐに契約先に発送しました。さっそくいくつかの店舗からコンサル依頼があり、スタッフを派遣しました。ほかにも「面白いものをつくったね」「おたくにこういうものを作る柔軟性があることに感心した」といったご意見をいただき、新しい企業イメージが生まれたように思います。

驚いたことに発送していない店舗さんからも問い合わせが来ました。飲食店同士のお付き合いの中でわが社の小説が回覧されたようです。これは大きな発見でした。DMチラシはまず間違いなく回覧されません。しかし本になると、それが有意義でおもしろければ、親しい人物に「読んでみたら?」と勧めてもらえるのです。

 
問5/小説にしたことで、予想以上の効果があったと感じた点はありますか?

林川
ながらく「飲食コンサル」の看板を掲げてやってきたことから、私を含めた社内外すべての人々が「あの会社=コンサル」と、固定したイメージを持っていました。しかし、業務こそ専門性はあるものの、それを伝えたり実現したりする道筋は無限にあるということを、小説作成を通じて知らされた思いです。

社内では、プロジェクトに関与した若手を中心に連帯感が醸成され、愛社精神が生まれたように思います。ベテラン社員も「いつまでも若手」と思うのを止め、立派な戦力としてみるようになりました。小説づくりは社内の連携向上に間違いなく寄与しています。

半年後に続編第2巻を作成しました。さくら文研さんのお力を借りました。こちらも好評で、ご契約増につながっていますし、社内においても「小説型コンテンツはわが社の一つのウェポン」という意識が根付いています。さくら文研さんには悪いかもしれませんが、いずれは社内に「小説コンテンツ事業部」を設立して内作可能になるかもしれません。

 
問6/自社の価値や理念を「物語化」することの意義について、どう感じましたか?

林川
私たちも、コンサルティング業務を通じて言葉によるコミュニケーションの重要性は承知していたつもりです。しかし、空想された言葉、抽象化された世界、夢想させるストーリーといったものを一つに編み上げてフィクションに落とし込み、エンターテインメントとして形にする技法には通じていませんでした。

さくら文研さんの言うには「いろんな条件が一致しないと、なかなかうまくいかない」とのことでしたが、価値観や理念を物語化するという行為そのものは、あらゆる事業者が一度は通過すべき思考実験ではないかと思います。なぜなら、私たちが日々を糊するビジネスも、お客様に提供するサービスも、現実の便益や夢の生活が結晶化した「物語」という想像の産物からはじまることに変わりはないからです。

 
問7/同じような形で発信を考えている企業へのメッセージをお願いします。

林川
特に広告に悩んでいる方に伝えたいことは、「チラシは消費される。コンテンツは資産化する」ということです。 資本主義社会の広告手法は、大量消費を促す一方で、自らも消費されていきます。好況下はそれもいいでしょう。しかし景気が横一線だったり不景気化している局面では、広告を打っても物は売れず、それどころか広告ばかりが不毛に消費され、会社は疲弊の一途です。チラシが情報の単なる羅列だとすると、コンテンツは情報を総合し、解釈を加えます。長期使用でき、解釈変更すれば新しい局面でも活用可能です。コストの時代からこそ、賢く検討すべきです。

さくら文研さんは、広告業界でのキャリアがあり、文章専業としながら、親身な洞察でオリジナルの意見を提案してくれます。ある意味さくら文研さんこそ、コンサルティング的だと思いました。

原稿代筆・文章作成

伝記(二人史)ご依頼者様インタビュー

萩原様(仮名)の場合

ジャンル 尊敬する会長の伝記+自身の青年期の記述
規模 原稿用紙200枚
執筆期間 約10か月
備考 無線綴じ私家本+AmazonKDP販売

 
問1/ 伝記を書こうと思ったきっかけを教えてください。

萩原
70を過ぎても元気で、会社経営に専念していましたが、ある時心臓に「ウっ」と痛みが走り、気を失って病院に担ぎ込まれました。医師いわく「不整脈からくるものでさほど案ずることはない」とのこと。とはいえ、大きなショックを受けました。今まで病院のお世話になったことなんてなかったのに……。急に自分の年波が気になりだし、そろそろ幕引きを考える時が来ていると感じました。

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 問いは(7)まであります

振り返ってみて、わが人生に一片の後悔もありません。良い会社に入れてもらい、尊敬する会長の薫陶を受け、亡くなる前に子会社の一つを譲り受け独立。その後も安定的な経営を続けてきました。息子が専務をつとめてくれ、代替わりの準備は整っています。 プライベートでは、堅実に蓄財してきたので生活の不安は何一つなく、地域の交流団体に所属して月に一度の清掃奉仕に励んでいます。友だちも多く、老いの孤独など何も感じません。妻も元気で、一緒に旅行に行くこともしばしばです。

そんな日々にひびを入れた心臓の変調。薬で統御できているとはいえ、痛みとともに覚えた人生の終焉の予感は、私にめまいのするような焦燥感を与えました。人生に何かやり残したことは無いか――模索する日々です。

内省の末、自分自身のことについては特に何もなかったものの、唯一、尊敬する故会長のことが気にかかりました。 取るに足らない私を拾い上げ、企業人として育て上げ、我が子同然に扱ってくださった恩師。この人からいただいた教訓は数限りなくあり、いまも人生の礎となっています。また、地域の名士・実力者でもあり、郷土に多大な貢献をなさいました。 しかし、この人のことをこんにち語れる人は少なく、私のように直に教えをうけた人間は年を取り、まもなくこの世からいなくなろうとしています。

「郷土の未来のために、故・会長の実績を書き残し、言葉を後世に伝えたい」

没後30年以上経過しており、遅すぎる孝行なのは分かっています。しかし、私はそれが自分に課せられた最後の義務だと確信しました。

さっそく故・会長のご遺族の許可を得、会長について私がじかに接し、見聞きしたことを収録した本を作成することにしました。

 
問2/自分で書かずにライターに依頼したのは、なぜですか?

萩原
最初は自分で書こうとしました。しかし、思い出があり過ぎてどこから手を付けていいか分かりません。エピソードをどう分類するのがベストなのか、見当がつきません。会長を知るかつての同僚に話すと「若い人は会長を知らないから、半生をまとめた章をもうけなければいけない」とアドバイスを受けました。納得すると同時に――私は途方に暮れつつありました。原稿を作成しながら、会社経営もしなくてはなりません。本を書くことを舐めていたわけではありませんが、その道のりの険しさに呆然としました。

手が止まりかけていた時、専務がさくら文研さんの存在を教えてくれました。WEBサイトを見ると、様々な代筆プランの中に自分史作成も含まれています。確かにプロの力を借りた方が良いものを効率的に作成できるでしょう。私はさほど迷うことなくプロに頼むことを心に決めました。

ただ、私のつくろうとしている本は自分史ではなく、他人の伝記です。こういったことも引き受けていただけるのか。メールで問い合わせたところ、快諾いただきました。

 
問3/ 代筆を依頼する前に、不安だったことはありましたか?

萩原
自分でやろうと思ってできなかったことですから、人に任せてできるのか、想像もつきませんでした。 話の素材はすべて私の頭の中にあります。まずはそれを全部聞いてもらうところからはじめました。

さくら文研さんは何度も取材にいらして私の話をICレコーダーで録り、文字起こしして情報を整理。私の記憶が断片的で、時系列が入れ替わっていたり、同じ話を何度もしてしまったりして、随分ご不便をおかけしたと思います。

回数を重ねるうちに情報が出揃い、さくら文研さんが構成案にまとめて来られました。みごとにすっきり話が整理されています。会長の半生記チャプターも用意されています。目次を見た時点で「この作品は成功する」と確信しました。

 
問4/打ち合わせややりとりの中で、印象に残っていることはありますか?

萩原
この本は、基本的に私と会長の直接の交流に根差したエピソードの集積です。会長との出会い、初めて叱られたこと、褒められたこと、泣かされたこと、嬉しかったこと。これらを並べるにあたり、会長の半生記と同じ程度、私自身の人生の変遷にも触れないわけにいきませんでした。

そこで、私自身にフォーカスした原稿の追加をお願いしたんです。さくら文研さんは「本の趣旨が若干変わってきますよ」とご忠告くださいましたが、要望を伝えると承諾いただき、別章として私自身の幼少期・青年期の原稿をまとめてくださいました。

会長を本にする許可をくださったご遺族には不遜に映るかもしれませんが、私は尊敬する会長と自分が一冊の本に一緒に収録されることがうれしく、ますます本づくりに精神を傾けるようになりました。

 
問5/ 出来上がった原稿を読んで、率直にどう感じましたか?

萩原
前述のような無理難題を経て、原稿は完成しました。印刷製本の際に会長と私の写真をお渡しし、装丁デザインや挿入資料として使っていただきました。

最終的に、私家本として手元に100冊の納品を受け、同じデータをAmazonのペーパーバック販売サービスに登録し、ネット通信販売を開始しました。

手元に本が来た時は、本当に感動しました。私の頭の中にごちゃごちゃと積み上げられていた情報が、一冊の本にコンパクト収まるなんて――こんなことが可能とは思ってもみませんでした。願いが叶って本当にうれしかったです。また、本をつくる過程で過去のいろんな出来事に思いを馳せたわけですが、さくら文研さんとのやりとりで気付いたこと、思いを深めたこともありました。自分自身を見つめる良い機会となりました。

 
問6/ご家族や身近な方の反応はどうでしたか?

萩原
私の性格を知っている人たちにしてみれば、私が「本を出す」人間であるなんて想像もつかなかったはずです。そんな私から「謹呈」と書かれた封書で本が届いたのですから、みな大いに驚いていました。

会長のことを知る人々からは「懐かしい」「俺も絞られたよ」と、それぞれの昔話が返ってきました。若い人からは「こんな人が郷土にいたとは知らなかった」という感想が寄せられました。「今の時代にはこういう人がいない」という思いに駆られたようです。読者の中から「ならば自分が!」という人が出てきてくれればと思います。

別章で私の生まれ育った町について記しておいたのですが、地元の古なじみがその部分を読んで感激し「これは残さなければいけない。なぜなら、この界隈について書かれた本なんて、これまで何一つなかったのだから」と、資料としての価値を賞賛していました。

本をつくったことで、いろんな人とのつながりが活性化しました。また、人によって読まれ方が違うことを知るにつけ、その意外な幅広さに驚きました。

 
問7/同じように自分の人生を形にしたいと思っている方へ、一言お願いします。

萩原
私と同年代の方々にお伝えしたいのは、「人生はいつまでも続かない」こと、「人生最後の喜びは『共感』である」こと。この2つです。

私は心臓を患ったのちも、幸い小康を保ち、本を作ることができました。しかし、これがもし大病で、後遺症が残ったり最悪亡くなってしまったら、本は生まれませんでした。

いま漠然と「あれをやりたい」「これをしたい」という夢があるなら、すぐにやることをお勧めします。なぜなら、「その時」は急に来ますから。

「人生最後の喜びは『共感』である」ことについて。人は、老いや病気で人生の終焉を予感すると、即物的な価値が虚しいものだと気付きます。子孫をたくさん残そうが、巨万の富を残そうが、事業を残そうが、自分自身は身一つであの世に行くのであり、何も持っていけません。むしろ、あればあるほど執着し、孤独になるのです。

それよりは、周りの人々と「あれを食べたね」「あれはおもしろかったね」「あれもやったね」と、いろんなことを共有して心で響き合うことが、生きている手応えとなり、喜びとなります。楽しい思い出をたくさん抱いて臨終の床に就く。幸せな終わり方として、このほかに何がありましょう――と私見ながら思うのです。

本を書くことは、共感のための一つの手立てとなるでしょう。読んでもらって語り合う。感想をもらう。未読の人が本に出会い、また新たな共感がうまれる。人と人をつないでくれます。

他人だけではありません。本を読み返す自分自身が自分との共感を覚え、人生を愛しなおすきっかけとなることもあるでしょう。

「終活」という言葉は、どこかしら淋しさがつきまといますが、目をそらさずに向かい合えば、再び自分の人生と出会う喜びを迎えることができるでしょう。自分史は単なる記録ではなく、人生を味わいつくす最後のごちそうです。

小説作成

さくら文研の代筆をご利用のお客様の声

さくら文研ではレーベル立ち上げ以来、たくさんの代筆依頼をいただき、小説をはじめ、自分史・エッセーなど様々な経験を積ませていただきました。お客様からいただきましたお褒めの言葉を一部紹介いたします。

M様 50歳

◆ご依頼内容: エッセイ/草稿あり/200枚/3か月

我が家で起こった爆笑の出来事を無理を言ってお願いしました。
本物のプロの腕前を見させていただき感動いたしました。

さくら文研より:個人フィルム化を念頭においた執筆のご依頼でした。
ストーリーの面白さをそこなわず、実写化予算を考慮してシーン数、登場人物数を工夫しました。

さくら文研

K様 41歳

◆ご依頼内容: 物語/草稿あり/10枚/1週間

冒頭シーンだけという無茶な依頼にもかかわらず、お引き受けいただきました。
少ない枚数にかなりの情報をもりこんでいただき、感服です。

さくら文研より:もともと小説を書かれるお力のある方の原稿を触るのは、なかなか難しいことです。
冒頭以降を熟読し、書かせていただきました。

さくら文研

T様 38歳

◆ご依頼内容: メルマガ配信用小説/完全オリジナル/10枚/2週間

メールマガジンのワンコーナーとして書いていただきました。
小説を広告的に扱うにあたりアドバイスまでいただいたうえ、
素晴らしい原稿を執筆いただき、ありがとうございます。

さくら文研より:IT関連企業様のメールマガジンで、ホームページの効率化を謳いあげる内容をお求めでした。
草稿はありませんでしたので、アイデアを複数案ご提出し、選んでいただきました。

さくら文研

N様 20代

◆ご依頼内容: ブログ掲載用小説/テーマあり(草稿なし)/10枚/2週間

特殊な世界観にもかかわらず、ありがとうございました。
とてもいいです!とても面白いです!
オリジナルのシーンもすごく面白くて好きでした。

さくら文研より:ファンタジーという珍しいご依頼でした。
ブログ掲載用の文章は、横書きで読んで目が疲れず、改行を多く、文章を短くするなど、工夫が必要です。

さくら文研

Y様 50歳

◆ご依頼内容: 自分史/草稿あり(断片)/280枚/6か月

50歳を迎える前に自分の半世紀をまとめようと自分史を思い立ったのですが、暗礁に乗り上げ、諦めていました。
執筆をお任せすることで、内容に集中できたので、いいものが出来上がりました。 感謝です。

さくら文研

N様 64歳

◆ご依頼内容: 自分史/草稿あり/320枚/10か月

定年を迎え、自分が積み重ねてきたものを後世に伝えたいと思い、依頼しました。
取材をうけるうちに、自分自身の軌跡に新しい発見をしたり。
この感動は、自分独りで書いていても得られなかったと思います。
自分史づくりの面白さも、自分史に加えたいほどです。
すばらしいパートナーシップを、ありがとうございました。

さくら文研
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