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コンビニのレジ横にあるホットスナックの油の匂いに、明確な殺意を覚えるようになりました。
かつてはあんなに愛し合っていた、Lサイズのフライドポテトとも現在は絶縁状態です。
鏡を見れば、そこには見知らぬ疲れたおじさんが立っており、こちらを不安そうな目で見つめています。
胃腸の反乱と鏡の中の真実。これこそが、40代という季節の正体なのでしょう。
◆このページのコンテンツ
世の中には、耳に心地よい言葉が溢れすぎています。
「何歳からでも挑戦できる」というフレーズは、その最たるものでしょう。
嘘ですね。
49歳の私が今からJリーガーを目指しても、待っているのは感動のドラマではなく、アキレス腱の断裂だけです。
時間は、残酷なほどに平等で、一方通行です。
失われた若さと、低下した基礎代謝は、二度と右肩上がりにはなりません。
私たちは、無限の可能性という幻想から、そろそろ卒業しなければならないのです。
絶望を勧めているわけではありません。
ただ、選別の必要性を説きたいのです。
失った時間は戻りませんが、これからの時間の使い方は、今この瞬間に上書きできます。
壊れた人間関係の修復は難しくても、新しい孤独を楽しむ術なら、いくらでも身につけられるはずです。
私たちは、重すぎる荷物を背負いすぎてきました。
世間体。親の期待。同僚との無意味な競争。
それらを一度、道端に放り投げてみましょう。
やりなおせない過去に執着するのをやめ、修正可能な未来だけに照準を合わせるのです。
人生の後半戦を、機嫌よく過ごすための戦略が必要です。
それは、自分勝手に生きるための、「前向きなわがまま」。
いかがでしょうか。
どれも些細な、しかし実行するには勇気がいる項目ばかりです。
わがままに生きる、それは自分を甘やかすことではありません。
自分の人生に対して、誠実な責任を持つという宣言なのです。
これまで、私たちは十分に「良い子」を演じてきました。
社会の歯車として、誰かの期待に応える機械として、懸命に摩耗してきました。
その結果が、この少しばかりの貯金と、衰えた肉体だというのなら。
ここからは、自分のためだけにエネルギーを使っても、罰は当たらないはずです。
40代の人生は、
客観的に見れば、双六でいう「あがり」に向かうだけの、地味な消化試合に見えるかもしれません。
実際、若い頃に描いていた華やかな未来とは、程遠い場所に立っています。
それでも、不思議と絶望はしていません。
不必要なものを削ぎ落とした今の視界は、かつてないほどにクリアです。
無駄な人間関係を断ち、自分の不完全さを認め、小さな幸福を丁寧に拾い上げる。
この「前向きなわがまま」こそが、停滞していた私の心に、新しい風を送り込んでくれました。
40代は、終わりの始まりではありません。
本当の意味で、自分自身の人生を始めるための、再起動のタイミングです。
昨日までの自分に別れを告げ、少しだけ意地悪で、、最高に自由な「わがまま」を始めてみませんか。
夕暮れ時の空が、意外なほど美しいことに気づけるのは、きっとこれからなのですから。
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