母の自分史・代筆ご依頼者様インタビュー
久米島様(仮名)の場合
以下のインタビュー内容はメインサイト「さくら作文研究所」から転載しています。
ジャンル お母様自伝 規模 原稿用紙200枚 執筆期間 約半年 備考 印刷製本(ハードカバー)
問1/自伝を書こうと思ったきっかけを教えてください。久米島様:
喜寿を迎えた母に何か記念になる物を贈ろうときょうだいで話し合い、自分史をつくってあげることにしました。母に電話でそう言うと「大袈裟な!」と笑いましたが、2・3度勧めると話に乗って来ました。 実はこうなることは察しがついていたんです。母は以前から「友達に自分の過去の話をすると『盛ってるでしょ』『出来過ぎだよ』と言って信じてもらえない」と愚痴を言っていましたし、ある作家さんから「あなたの人生を本にしたらきっと面白いよ」と言われたことを自慢にしていましたから。
「じゃあ、決まりね!」と言って電話を切った翌日、さっそく母から「で、私は何を準備すればいいの?」と前のめりに聞いてきた時は、相当やる気になっていることに吹き出しそうになりました。
母は若い時分に四国の田舎から地方都市に一人でやってきて、苦心の末に自分の店を持ち、それなりに成功をおさめました。その後、女手一つで私たちきょうだいを育て上げ、私たちが独立すると事業を売却。いまは一人暮らしをしています。
東京にいる私たちが母の身体を心配し、「こっちにおいでよ、一緒に暮らそうよ」と勧めても、「私はまだ年寄りじゃないよ」「一人が気楽でいい」と突っぱねます。一人で頑張ってきたことが母のプライドで、誰の助けも借りずに仕事をし、子育てをしてきたことを誇りに思っているのです。その背後では、事業で裏切られたこと、男女関係のもつれなど、悲しい出来事もあったということを、年長の親戚から聞いたことがあります。
私たちきょうだいはそういったことを母から直に聞いたことはなかったのですが、自分史を作成することになれば母が過去を開示して、私たちも母のことをもっと知れるのではないか、という好奇心もありました。
問2/プロライターの代筆を思い立ったのは、なぜですか?久米島様:
「やるんなら最高のものをつくるから」私がそう伝えると、母はうなずきました。事業主だった母は厳しい性格の持ち主で、妥協を嫌います。実はここに、私たちの計算がありました。私たちきょうだいはそれぞれ事業をしており、自分たちでペンを握って文章を書く時間はありません。プロのライターに依頼して取材と執筆をしてもらうことは、当初から念頭に入れていました。「いいものを作るために全力を尽くす」という真剣さを母と共有できれば、プロに依頼するという選択肢に母が反対する理由はありません。
ライターは、ネットで見つけたさくらライティングさんに決めていました。すでに見積をとり、出張取材のスケジュール確認を進めていました。さくらライティングさんを選んだ理由は、正直にいって「フィーリング」です。ネット上には無数の自分史営業サイトがありました。中でも「原稿の品質」へのこだわりが高かったことに好感を持ちました。
問3/さくらライティングと実際にやりとりしてみて、どう感じられましたか?久米島様:
気になっていたのは取材です。出張は何回までしていただけるのか。一回で何時間くらいか、どのような段取りですすめるのか、費用はどのくらいか……等々。何度もメールのやりとりを重ね、オンライン会議も挿みながら回答をいただき、おおよそのイメージを掴むと、いよいよ母と対面取材をしてもらうことになりました。気掛かりは「母との相性」です。なかなかの偏屈ものですから。さくらライティングさんが耐えられるか、母が「この人なら話ができる」と思うか。対面は私も立ち会いました。さくらライティングさんの丁寧な対応と会話で、母はすっかり心を許したようです。初対面日とその翌日、合計で5時間くらいインタビュー取材をしていただきました。対面取材はその時だけです。あとはメールやお電話でのやりとりでした。
ちなみに2日目は私は立ち会いませんでした。娘がいると話しづらいこともあると思ったからです。事実、2日目の取材内容は、娘では到底聞けない、母からすれば娘には到底話しづらいことが引き出され、母の自分史内の一つの重要な核となっています。
問4/打ち合わせややりとりの中で、印象に残っていることはありますか?久米島様:
取材のあと、構成案の確認、執筆原稿の確認が何度かあり、パソコンに疎い母は紙の原稿をさくらライティングさんに送ってもらい、赤ペンを入れては送り返す作業を続けていました。私は月一度くらい母の元を訪れ様子を見ていましたが、ダイニングのテーブルで老眼鏡をかけて原稿を食い入るように見つめて赤ペンを走らせる母の姿に、熱いエネルギーを感じたものです。
最近は年を取って、なにごとにもゆるくなっていましたが、昔の「勉強しなさい!」と厳しく言っていた頃の母がかえってきたようで、その面影が懐かしく、うれしい気分になりました。
事実、母はめきめき若返るようで、さくらライティングさんと原稿の往復をしていた頃は、疎遠になっていた友人と花火を観に行ったり、歌謡ショーを観覧したり、精力的に人生をエンジョイしていましたね。
問5/出来上がった原稿を読んで、率直にどう感じましたか?久米島様:
原稿は、さくらライティングさんの紹介で印刷製本し、ハードカバーのきれいな本となって納品されました。感動、驚き、喜び……もう何と言ったらいいのでしょう。読んで今まで知らなかった母の側面を知り、本当に自分史作成を実現してよかったと思いました。母へのプレゼントというより、私たちきょうだいが得た喜びの方が大きかったのではないでしょうか。内容に関して、特定の人物への誹謗中傷になりかねないことや、登場人物の機微に触れる点は、避けがたく存在しているのですが、さくらライティングさんは見事にそれを裁かれていました。筆をぼかしたり、いろんな角度の視点を提示して一つの価値観に押し込めないようにしたり。出版流通はせず内輪にのみ配布する予定でいても、センシティブな部分には細心の注意をいただきました。本にするということは残るということなのだと、改めて感じました。
母も大変に満足のようです。友人に渡す時の照れた表情など、母がかわいらしく見えました。かつてお店をしていた時の常連さんに送ったところ、お手紙がきたり、食事をしたり、交流が戻っていました。事業を退いてからは仕事関係の人とは顔を合わさないようにしているところがありましたから意外でした。おそらく母は、自分の人生を振り返って、いろんな人に支えられていたことを改めて思い出し、変に交流をせばめたりせず、みんなに感謝したい気持ちになったのではないかと思います。
問6/依頼してよかったと感じた点を教えてください。久米島様:
親子間の関係が一層密になったこと、母の人間関係が活気を取り戻したこと以外に、母が如実に元気になったことが挙げられます。定期的にお医者様にかかっていましたが、あらゆる数字が改善していました。医師の方が驚いて「最近何かしましたか?」と尋ねてきたくらいです。母は「子供たちが自分史をつくらせてくれたんです」と堂々と答えました。
母は病院嫌いで、これまで医師とのやりとりもぶっきらぼうだったのですが、その医師に自分の近況を吐露することをいとわぬくらい、気持ちが開放的になっていると思いました。
問7/自分史の作成を検討中の方へ、一言お願いします。久米島様:
そんな母も83で他界しました。自伝完成から5年。もともとの持病が募り、全身の体力を奪い、最期は病院にいましたが、さほど苦しむ様子もなく旅立ちました。人生最後のきらめきは、間違いなく自分史でした。自分の人生を掴みなおし、周りの人々に感謝し、心の元気を取り戻し、傘寿くらいまで私たちと旅行に行ったりしました。
遺された私たちきょうだいにしても、自分史をプレゼントして本当によかったと思っています。母の喜ぶ顔をしっかりと見届けたことは、親孝行の手応えでしたし、私たちも母を通じて自分のルーツを知ることができ、家族や先祖について思いをいたすきっかけになりました。
賀寿のお祝いのプレゼントは、いろんなものがあると思いますが、家族の絆を形にするのは、自分たちが登場する自分史という書物だけです。作成をお勧めしますし、つくるならプロにお任せするのが最善です。さくらライティングさんは小回りの利くライターさんですから、些細なことも親身に相談に乗ってくれます。