伝記(二人史)ご依頼者様インタビュー
萩原様(仮名)の場合
以下のインタビュー内容はメインサイト「さくら作文研究所」から転載しています。
ジャンル | 尊敬する会長の伝記+自身の青年期の記述 |
規模 | 原稿用紙200枚 |
執筆期間 | 約10か月 |
備考 | 無線綴じ私家本+AmazonKDP販売 |
問1/
伝記を書こうと思ったきっかけを教えてください。
萩原様:
70を過ぎても元気で、会社経営に専念していましたが、ある時心臓に「ウっ」と痛みが走り、気を失って病院に担ぎ込まれました。医師いわく「不整脈からくるものでさほど案ずることはない」とのこと。とはいえ、大きなショックを受けました。今まで病院のお世話になったことなんてなかったのに……。急に自分の年波が気になりだし、そろそろ幕引きを考える時が来ていると感じました。
振り返ってみて、わが人生に一片の後悔もありません。良い会社に入れてもらい、尊敬する会長の薫陶を受け、亡くなる前に子会社の一つを譲り受け独立。その後も安定的な経営を続けてきました。息子が専務をつとめてくれ、代替わりの準備は整っています。 プライベートでは、堅実に蓄財してきたので生活の不安は何一つなく、地域の交流団体に所属して月に一度の清掃奉仕に励んでいます。友だちも多く、老いの孤独など何も感じません。妻も元気で、一緒に旅行に行くこともしばしばです。
そんな日々にひびを入れた心臓の変調。薬で統御できているとはいえ、痛みとともに覚えた人生の終焉の予感は、私にめまいのするような焦燥感を与えました。人生に何かやり残したことは無いか――模索する日々です。
内省の末、自分自身のことについては特に何もなかったものの、唯一、尊敬する故会長のことが気にかかりました。 取るに足らない私を拾い上げ、企業人として育て上げ、我が子同然に扱ってくださった恩師。この人からいただいた教訓は数限りなくあり、いまも人生の礎となっています。また、地域の名士・実力者でもあり、郷土に多大な貢献をなさいました。 しかし、この人のことをこんにち語れる人は少なく、私のように直に教えをうけた人間は年を取り、まもなくこの世からいなくなろうとしています。
「郷土の未来のために、故・会長の実績を書き残し、言葉を後世に伝えたい」
没後30年以上経過しており、遅すぎる孝行なのは分かっています。しかし、私はそれが自分に課せられた最後の義務だと確信しました。
さっそく故・会長のご遺族の許可を得、会長について私がじかに接し、見聞きしたことを収録した本を作成することにしました。
問2/自分で書かずにライターに依頼したのは、なぜですか?
萩原様:
最初は自分で書こうとしました。しかし、思い出があり過ぎてどこから手を付けていいか分かりません。エピソードをどう分類するのがベストなのか、見当がつきません。会長を知るかつての同僚に話すと「若い人は会長を知らないから、半生をまとめた章をもうけなければいけない」とアドバイスを受けました。納得すると同時に――私は途方に暮れつつありました。原稿を作成しながら、会社経営もしなくてはなりません。本を書くことを舐めていたわけではありませんが、その道のりの険しさに呆然としました。
手が止まりかけていた時、専務がさくらライティングさんの存在を教えてくれました。WEBサイトを見ると、様々な代筆プランの中に自分史作成も含まれています。確かにプロの力を借りた方が良いものを効率的に作成できるでしょう。私はさほど迷うことなくプロに頼むことを心に決めました。
ただ、私のつくろうとしている本は自分史ではなく、他人の伝記です。こういったことも引き受けていただけるのか。メールで問い合わせたところ、快諾いただきました。
問3/
代筆を依頼する前に、不安だったことはありましたか?
萩原様:
自分でやろうと思ってできなかったことですから、人に任せてできるのか、想像もつきませんでした。
話の素材はすべて私の頭の中にあります。まずはそれを全部聞いてもらうところからはじめました。
さくらライティングさんは何度も取材にいらして私の話をICレコーダーで録り、文字起こしして情報を整理。私の記憶が断片的で、時系列が入れ替わっていたり、同じ話を何度もしてしまったりして、随分ご不便をおかけしたと思います。
回数を重ねるうちに情報が出揃い、さくらライティングさんが構成案にまとめて来られました。みごとにすっきり話が整理されています。会長の半生記チャプターも用意されています。目次を見た時点で「この作品は成功する」と確信しました。
問4/打ち合わせややりとりの中で、印象に残っていることはありますか?
萩原様:
この本は、基本的に私と会長の直接の交流に根差したエピソードの集積です。会長との出会い、初めて叱られたこと、褒められたこと、泣かされたこと、嬉しかったこと。これらを並べるにあたり、会長の半生記と同じ程度、私自身の人生の変遷にも触れないわけにいきませんでした。
そこで、私自身にフォーカスした原稿の追加をお願いしたんです。さくらライティングさんは「本の趣旨が若干変わってきますよ」とご忠告くださいましたが、要望を伝えると承諾いただき、別章として私自身の幼少期・青年期の原稿をまとめてくださいました。
会長を本にする許可をくださったご遺族には不遜に映るかもしれませんが、私は尊敬する会長と自分が一冊の本に一緒に収録されることがうれしく、ますます本づくりに精神を傾けるようになりました。
問5/
出来上がった原稿を読んで、率直にどう感じましたか?
萩原様:
前述のような無理難題を経て、原稿は完成しました。印刷製本の際に会長と私の写真をお渡しし、装丁デザインや挿入資料として使っていただきました。
最終的に、私家本として手元に100冊の納品を受け、同じデータをAmazonのペーパーバック販売サービスに登録し、ネット通信販売を開始しました。
手元に本が来た時は、本当に感動しました。私の頭の中にごちゃごちゃと積み上げられていた情報が、一冊の本にコンパクト収まるなんて――こんなことが可能とは思ってもみませんでした。願いが叶って本当にうれしかったです。また、本をつくる過程で過去のいろんな出来事に思いを馳せたわけですが、さくらライティングさんとのやりとりで気付いたこと、思いを深めたこともありました。自分自身を見つめる良い機会となりました。
問6/ご家族や身近な方の反応はどうでしたか?
萩原様:
私の性格を知っている人たちにしてみれば、私が「本を出す」人間であるなんて想像もつかなかったはずです。そんな私から「謹呈」と書かれた封書で本が届いたのですから、みな大いに驚いていました。
会長のことを知る人々からは「懐かしい」「俺も絞られたよ」と、それぞれの昔話が返ってきました。若い人からは「こんな人が郷土にいたとは知らなかった」という感想が寄せられました。「今の時代にはこういう人がいない」という思いに駆られたようです。読者の中から「ならば自分が!」という人が出てきてくれればと思います。
別章で私の生まれ育った町について記しておいたのですが、地元の古なじみがその部分を読んで感激し「これは残さなければいけない。なぜなら、この界隈について書かれた本なんて、これまで何一つなかったのだから」と、資料としての価値を賞賛していました。
本をつくったことで、いろんな人とのつながりが活性化しました。また、人によって読まれ方が違うことを知るにつけ、その意外な幅広さに驚きました。
問7/同じように自分の人生を形にしたいと思っている方へ、一言お願いします。
萩原様:
私と同年代の方々にお伝えしたいのは、「人生はいつまでも続かない」こと、「人生最後の喜びは『共感』である」こと。この2つです。
私は心臓を患ったのちも、幸い小康を保ち、本を作ることができました。しかし、これがもし大病で、後遺症が残ったり最悪亡くなってしまったら、本は生まれませんでした。
いま漠然と「あれをやりたい」「これをしたい」という夢があるなら、すぐにやることをお勧めします。なぜなら、「その時」は急に来ますから。
「人生最後の喜びは『共感』である」ことについて。人は、老いや病気で人生の終焉を予感すると、即物的な価値が虚しいものだと気付きます。子孫をたくさん残そうが、巨万の富を残そうが、事業を残そうが、自分自身は身一つであの世に行くのであり、何も持っていけません。むしろ、あればあるほど執着し、孤独になるのです。
それよりは、周りの人々と「あれを食べたね」「あれはおもしろかったね」「あれもやったね」と、いろんなことを共有して心で響き合うことが、生きている手応えとなり、喜びとなります。楽しい思い出をたくさん抱いて臨終の床に就く。幸せな終わり方として、このほかに何がありましょう――と私見ながら思うのです。
本を書くことは、共感のための一つの手立てとなるでしょう。読んでもらって語り合う。感想をもらう。未読の人が本に出会い、また新たな共感がうまれる。人と人をつないでくれます。
他人だけではありません。本を読み返す自分自身が自分との共感を覚え、人生を愛しなおすきっかけとなることもあるでしょう。
「終活」という言葉は、どこかしら淋しさがつきまといますが、目をそらさずに向かい合えば、再び自分の人生と出会う喜びを迎えることができるでしょう。自分史は単なる記録ではなく、人生を味わいつくす最後のごちそうです。